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生物物理計算化学者の雛

主に科学に関する諸々を書き留めています。

iPS細胞のノーベル賞に思う分子シミュレーションから見る細胞の巨大さ

化学 分子シミュレーション

山中伸弥教授が「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年度ノーベル医学生理学賞を受賞されました。
大変喜ばしいことです。

iPS細胞のもつ履歴

iPS細胞と関連する話として、先月開催された分子科学討論会の特別講演で発生生物学の大家である浅島誠先生の講演内容も思い出されます。(講演要旨 PDF注意)
浅島先生はアクチビンという発生時の分化誘導物質を発見された方で、胚の培地のアクチビン濃度を変えることで様々な器官へと分化させることができるというお話でした。実際に胚から作成した心臓、腎臓等の臓器の写真や動画を使って講演をされました。
特に印象に残ったのは、全能性を持つ細胞(確かiPS細胞だったと思います)と一言にいっても、どの臓器から作成された細胞かによって各器官への分化のしやすさが違う(メモをし損ねたので具体例は忘れましたが、イメージとしては例えば腎臓細胞から作ったiPS細胞は腎臓にはなりやすいが、心臓にはなりにくいといった具合に)そうです。
この「iPS細胞の持っている履歴」を分子科学の力で解明してほしいと生物化学は分子科学に期待しているというお話でした。
分子シミュレーションをやっている身からすると、どこから手をつけて良いのやら・・・と途方に暮れるしかないという感じです。

分子シミュレーションが適用可能なスケール

このような生命の細胞スケールの話に接すると、分子シミュレーションによって扱える現象のスケールの小ささをいつも感じてしまいます。

現時点の研究室レベルの計算機資源により可能な計算規模は、完全な古典力学ベースの分子動力学計算であったとしても数万原子系を数十マイクロ秒程度です。
これは以前作成した動画で解説したGFPのような水中のタンパク質を1分子扱える程度のスケールであり、しかも時間もマイクロ秒という現実の時間スケールと比べれば極めて短時間に限られています。(これでも昔と比べればずいぶん大きな系を長く計算できるようになってきているのですが・・・)

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現時点で聞いたことのある範囲で最も大きな系への全原子シミュレーションの取り組みは、スパコン「京」を利用してウイルスまるごとをシミュレーションを実行しようとする計画であり、名大の岡崎進教授を中心にプロジェクトが進められています(http://www.cms-initiative.jp/ja/cmsi/objective/topic3/focus1)。
このサイトによると1,000万原子系についてマイクロ秒の分子動力学計算を8万ノードで行う計画(ということは京のCPUは SPARC 64 VIIIfx 8コア(京 wiki項目)なので64万並列か・・・すごい並列だ)となっています。
ウイルスまるごとということで夢のある大きな話ですが、現実のヒトの細胞は1,000万原子のウイルスのさらに100万倍の原子数(1細胞=10^13原子(数の比較 wiki項目)であるため、将来のスパコンの進歩を考えても到底手が届くものになるとは考えられません。

しかも古典力学ベースということは共有結合の生成・切断を伴う現象を扱うことはできないため、生きた細胞が織り成す複雑な化学反応を扱うことはできないのです。
化学反応を扱うには量子化学的取り扱いが必要ですが、そのためには計算コストが恐ろしく増大します。

分子シミュレーションは個々の素反応を追うしかないか

結局のところ現実的に分子シミュレーションが扱えるのは、個々の化学反応を追いかける、単一タンパク質の挙動を解析する、タンパク質―基質間またはタンパク質―タンパク質間相互作用を解明するといった生命活動の複雑な化学反応ネットワークのいわば「素反応」に限られているというのが現状です。

このような素反応を扱うことでどれだけ生命の本質に迫れるのか・・・というのはちょくちょく感じる疑問です。
とはいえひとまず目先は一歩一歩個々の素反応をきちんと解明することに邁進するしかないのでしょうね。
素反応にだってまだまだ解明すべき点は尽きることなくありますし。