生物物理計算化学者の雛

主に科学に関する諸々を書き留めています。

「1歳未満の乳児は週一晩母親と離れると精神が不安定になる」の原論文をチェック

今日こんな記事を見つけました。

生後12ヶ月未満の乳児は、週に一晩でも母親と離れて暮らすと精神が不安定になる:米調査結果

生後12ヶ月未満の赤ちゃんで1週間に一晩かそれ以上母親と離れて暮らしている子は、精神が不安定で、母親との結束が弱いことが明らかになったそう。

今回の調査結果は、共働きの家庭だけでなく、離婚調停の際に親権を決める判断材料としても大きな役目を担うとTornello女史。「心理学の研究に基づいて考えれば、12ヶ月未満の乳児の親権は父親ではなく母親に渡るべき」とし、裁判官などはこういった研究を考慮すべきと示唆した。

内容としてはここに引用したように、生後1年未満の乳児が母親と週1晩以上離れて暮らすと精神が不安定になることが分かったから、1歳未満の乳児の親権は母親に渡すべきではないかと示唆されたとするものです。

この記事を読んで「母親に親権を渡すべき」という部分に直感的に違和感を感じました。
この手の翻訳記事によくあることなのですが、発表された原論文では「示唆された」程度のことしか言っていないことを、一般向け記事では確定事項のごとく扱い飛躍した結論を記述することが多いので、その手の飛躍がありそうに感じます。

この直感的に感じた違和感が正しいかどうか気になったので、原論文を入手して読んでみました。
(Journal of Marriage and Family (結婚家族ジャーナル?) なんてのがあるんですね)
(例によって日本語記事には論文へのリンクがありませんでした。ちゃんと原論文は記述しておいてほしいですね)

原論文 Overnight Custody Arrangements, Attachment, and Adjustment Among Very Young Children (オープンアクセスではないので、残念ながら一般の人は本文は入手できません)
Journal of Marriage and Family, 75, 871 (2013).

アブストラクト(要旨)の抄訳

まずざっとアブストラクトを翻訳しておきます。
なお、この手の社会学(?)分野は専門外ですので、専門用語の訳は間違えているかもしれません。

・多くの乳児(infants, 0-1歳児)、幼児(toddlers, 1-3歳児)の両親は離婚、婚外出産等のために離れて暮らしている場合が多いが、普段は子供と生活を共にしている側の親元(訳注 母親)だけでなく、頻繁にもう一方の親元(訳中 父親)の家庭で夜を過ごす(overnight)生活をしている子供に関しては研究がなされていない。

低所得者層の家庭状態のデータベースを利用して乳児・幼児における解析を行った。

・両親が離れて暮らしている子供のうち、6.9%の乳児、5.3%の幼児は平均週1回以上の頻度で父親の元で1晩を過ごしている。

・乳児においてはもう父親の元で過ごす頻度と母親との愛着形成不足(attachment insecurity 専門用語なのかな?)との間に相関が得られたが、幼児においては相関は明確ではなかった。

論文本文の結果をかいつまんで

結果を大雑把にまとめると以下のようになります。

なお子供と長く接するのは母親、時々子供が訪問する先は父親として記述されています。
(父親と子供が同居する場合もいるはずですが、その寄与は無視しているのかな?? Method を丁寧に読めば書いてあるのかも)

この論文では低所得者層の家庭状態データベース(Fragile Families and Child Wellbeing Study)を用いて統計的分析を実行。

1歳以下の乳児においては子供の母親に対する愛着形成は、父親の家で夜を過ごす頻度とだけ唯一有意な相関がみられた。(Table 5)
(母親の人種、学歴、経済力、年齢、子供の性別、年齢、家族の人数、母親の鬱傾向等に対してオッズを計算したが、すべて有意差無し)

この結果は子供が父親と夜を過ごす頻度と母親との愛着形成の関係を定量的に初めて明らかにしたものである。
ただし真に因果関係があるのかをはっきりとさせるにはさらなる研究が必要となる。

母親との愛着形成に影響しそうな複数の要因に対し、各要因に対するオッズを計算する統計的解析を行っています。

確かに言われてみれば1歳未満の乳児が週6日は母親と過ごし、週1日は父親の家で過ごす生活を続けた場合に、母親との愛着形成に何らかの影響が出るとする仮説はありえそうに聞こえます。

ただし得られた結果について論文中で統計的扱いの限界(愛着形成の度合いを定量化する部分に課題がある等)について丁寧に議論がなされていますので、本当にこの仮説が正しいか否かの最終判断をこの論文が下すものではありません。

著者は「母親に親権を渡すべき」ということを言っているのか?

元の日本語記事で私が引っかかった「母親に親権を渡すべき」という部分ですが、論文に目を通した範囲では(論文全体をきちっと読んだわけではありませんが)それらしき記述はありまんでした。

論文中に書いてあるのは「離れて暮らす両親の子供にとって良い環境を整えるために科学的知見をさらに積み上げる必要がある」といった議論であり、具体的に親権をどうすべきという記述はなかったように感じます。

どこか論文とは別の場所での発言かと思って検索をかけたところ、下のような英語記事が見つかりました。

https://news.virginia.edu/content/overnights-away-home-affect-children-s-attachments-study-shows

ここではこのような発言があります。

“I would like infants and toddlers to be securely attached to two parents, but I am more worried about them being securely attached to zero parents,” said Emery, Tornello’s research adviser.

He advocates parenting plans that evolve, where day contact with fathers occurs frequently and regularly, and overnights away from the primary caregiver are minimized in the early years, then are gradually increased to perhaps become equal in the preschool years.

(抄訳)
子供は両親両方と愛着をもってほしいが、(父母の家を往復する生活によって)両親どちらにも愛着をもてなくなっている可能性を危惧している。
(この論文の知見をふまえると)1歳未満の乳児については、父親が子供と会うのは昼間だけにして、夜は常に母親の家で過ごす方がよさそうだ。
そして子供が成長するにしたがって父親の家で夜を過ごす比率を増やしていき、学校に入る頃には父母双方と同じ長さの時間を過ごせるようにしてはどうだろうか。

この発言内容であれば親権は母親にと単純に言っているわけで無く、極めて妥当なものであり違和感は感じません。

ひょっとしたら別のインタビューか何かで「母親に親権を渡すべき」という発言があったのかもしれませんがその可能性は低そうに感じます。

日本語記事化する際に誤訳があった、または日本語記事執筆者の「願望」的なものが入り込んでしまった可能性もありそうだと感じます。